【ジェイソン・ヒッケル 野中香方子(きょうこ・訳) 東洋経済新報社
2023年5月4日発行 本文291頁 2400円+税】
1 はじめに
野菜の値段が高い。秋刀魚は庶民の魚でなくなった。大規模な山火事の発生。これらは気候変動が原因だとされます。ところで、SDGs(持続可能な開発目標)ってありますよね。国連が掲げ、各国政府も大企業も推進。この行動指針で気候変動は止められるのか。いまや問題はなべてCO2にあるとされます。しかし、問題の本質を「CO2」に還元することは正しいのか。本書は次のように言います。〈社会が石油燃料に依存していることと、化石燃料企業の異常な行動は、より深刻な問題の症状にすぎない。その問題とは、過去数世紀にわたって多かれ少なかれ地球全体を支配するようになった経済システム、資本主義である〉(26頁)と。
2 資本の鉄則(90頁〜)
資本主義とは何かについて本書はこんな例をあげます。ひとつは昔ながらの地元のレストラン。もうひとつはアマゾンなどの大企業。僕たちは二つを同じ資本主義と思いがちだ。しかし、地元のレストランは資本主義ではないと著者はいう。なぜなら「利益」の概念が違う。地元のレストランの利益は、家族を食べさせ、従業員に給料を払い、老後の貯えができれば良い。すなわち、その利益は特定のニーズを満たすという「使用価値」に基づく。しかし、アマゾンの利益はジェフ・ベゾスの食卓を豪華にすれば終わりというものではない。ここで追及される利益は「交換価値」と呼ばれるもの。交換価値には使用価値のようなこれで満足という終わりがない。終わりがないということは、自己増殖が運命づけられるということ。すなわち、ここで利益は「資本」となる。だから「資本主義」なのだ。資本主義は利益が利益を生むような永久運動のシステムだ。これは企業にとって強力なプレッシャーになる。利益をあげ続けるためには成長が不可欠。だから「成長」は資本の鉄則となり、「成長主義」が資本主義の本質となる。
3 「脱成長」という考え方
「成長」という言葉はよい響きを持っていますよね。だから、経済の成長にも無批判になりがちだ。けれど、経済の成長には「資源」が必要。しかし、地球上の資源は有限。限りない成長は不可能なのだ。ここに、「脱成長」といいう考え方が生じる。「脱成長」と言っても成長をやめることではない。成長させるべき部門と根本的に縮小すべき部門を見極めること、また、利益を最大化するために製品の寿命をあえて短くするような、部品をなくし修理不能とするような、生産様式をやめることだ。「脱成長」とは、〈経済と生物界とのバランスを取り戻すために、安全・公正・公平な方法で、エネルギーと資源の過剰消費を削減することを意味する〉(37頁)。「資本主義の次に来る世界」のしくみを想像するとき、そこに「脱成長」「定常経済」という概念が生まれる。
4 本当にできるの?
斎藤幸平氏の『人新生の「資本論」』は、〈SDGsは「大衆のアヘン」である!〉から始まる。これに猛反発した識者もいた。また、資本主義の終わりを想像することは世界の終わりを想像することより困難だとも言われる。何故、反発が生まれ、想像不能に陥るのだろうか。本書のすぐれた面はその問題を哲学から解き明かした点だ。〈デカルトの敗北とスピノザの勝利〉(267頁)はそのまとめ。もう一つ、「資本主義の次に来る社会」への想像を遮断するものに「人間観」がある。人間は利己的で、自分の利益を最大化しようとするのがその本質とする人間観。本書はこの点についても〈資本主義は人間の本質とは何の関係もない〉ことを明らかにする(48頁以下)。科学の発達やイノベーションも資本主義の恩恵と思いがちだがそうではない(僕はそう思っていた)。山中教授のiPS細胞の作製やダビンチ手術が金もうけのための研究成果だなどとは到底言えない。資本主義は並外れた物質的生産性をもたらした。しかし、それで人間が豊かになったかといえばそうではない。本書の帯の惹句は、〈「少ない方が豊か」である〉というもの。「少ない方」=「地球から多くを収奪しない」方が人間にとって「豊か」なのだ。
