1 はじめに
本書は2010年の10月から翌年の2月まで、神戸女学院大学での最後の講義である 「クリエイティブ・ライティング」を基にして書かれた。同大学における20年の「講義」の集大成と言えようか。しかし、著者の、『そのうちなんとかなるだろう』(マガジンハウス)を読むとちょっとその表現では足りない気がする。著者の専門はフランス現代思想史。ところがその中でも研究対象が特異なものだったから大学に職を得るにも査定不能で採用がかなわない。1990年に神戸女学院に赴任したときにはおよそ40歳になっていた。仮に誰もが普通に選ぶものを選び、普通に研究していたなら、就職口だって普通に見つかったろう。しかしそれでは著者のような“規格外”とでもいうべき学者は決して生まれなかった。どうしてか。長い「不遇な」院生生活は著者に深い学知を与えた。また、人間的にも太い根っこを授けたと思しい。本書はそうした規格外の教師の愛情あふれる講義の記録である。
2 読後の感想、「面白かった」
著者の女学院での初めての講義の様子は次のようなものであった。<その最初の「フランス文学」の講義のときに、僕が半年かけて額に汗して作成した講義ノートを読み上げ、重要事項を板書して、ふと振り返ると、目に入ったのは、学生たち全員が必死で睡魔と戦っている姿でした」>(308頁)。ガックリ来たでしょう。さて、それから著者の「寝させてたまるか」が始まる。「聴かせる」ための工夫と努力が始まる。ではそのためにどうしたか。著者は生徒の反応を見ては、「余談」に及び、「具体例」をもちだし、「パラフレーズ」に腐心する。本書の面白さ、それは言うなれば、「生成的言語」という主題自体の面白さと、その主題を分からせようとする,「余談」「具体例」「パラフレーズ」が面白いのである。
3 「階層社会」とは?
本書の第7講は「エクリチュールと文化資本」。エピソードはフランスに語学研修に行った時のこと。学生がカルトミュゼ(美術館と博物館のフリーパス)を買いたいというので地下鉄の駅に行った。駅では「この駅にはない。○○駅にはある」というのでその駅に行ったがそこでは「△△駅にある」と言われる。ほぼそのくり返しで11カ所を回らされる。結局、めあてのカルトミュゼは去年発売中止になったことが判明。問題はなぜ日本の様に、「分からないので、お待ちください」と調べなかったかである。そうすれば発売中止はその場で分かったろう。著者は、<このとき、フランス社会のある種の「病」を感じ>た(132頁)という。著者は言う。観光客相手の接客係は申し訳ないけど階層上位の人ではない。彼らは「知らない」「教えてください」を口にすることは制度的に禁圧されているのだという。なぜか。それらを口にすれば、人に侮られ、或はいらぬ借りを作ってしまうと信じているから。しかし、「知りません。教えてください。お願いします。」は学びのぎりぎりの必要条件。このセンテンスが言えないことは社会的上昇もかなわなくなる、と。なるほどなぁ、と思いました。ヨーロッパが階層社会であることは既知の事実。しかし、その本質は、「簡単には抜け出せないもの」「階層意識の内面化」にあったとは!講義はこのエピソードからいよいよ本題の「階層再生産に強い力を発揮する教養・文化資本」(134頁)に入っていきます。
4 「クリエイティブ・ライティング」とは?
さて、肝心の「クリエイティブ・ライティング」とは何か。まず、伝えたぃことが自分にあること。次にどの様に伝えるか。著者はさまざまに表現を変えて言います。「情理を尽くして語る」・「読み手に対する敬意と愛」・「他者に伝わる言葉」・「命のある言葉」etc。それぞれ十分な説明がなされます。でも、とんでもないことに、僕は、「具体例が欲しいなぁ」と思ってしまった。そんなものが無いからこそ半年かけて講義をしたのに。しかし、ここで天啓が下る。具体例はあるのです。この『街場の文体論』こそがまさにクリエイティブ・ライティングそのものなのではないかと。僕が読んだ著者のご本の中で一番面白かったのが本書。本書には、あふれんばかりの愛情をもって語る内田樹の人間像があります。「学知」と「人間」、この二つを満足させるものには滅多にない。そういうことでぜひ、お手に取ってください。面白いですよ。