【内田樹 東洋館出版社 2022年1月28日 初版第1刷 全252頁 1700円+税】
1 はじめに
本書は2020年の夏から21年の3月までの間、凱風館(筆者の主催する道場・学塾)という処で3回にわたって行われた講演を書籍化したもの。聴講者は10人から15人ほどで, その聴講者との質疑応答、例えば、“教員間のいじめ”“不登校”“教員志望者の減少”なども入っています。そして、これに対する著者の応答が面白い。例をあげれば、オンライン授業のオンデマンド化という欠点を論じるのに、「あくび指南」(落語)から「学園漫画」、「惻隠の心」(孟子)から「天職」(キリスト)まで持ち出されます。著者の“熱”が伝わってきます。さて、『複雑化の教育論』、何が書かれているのでしょうか。
2 「複雑化」というタイトルは?
それは、著者が 「子どもたちがより複雑な生き物になることを支援するのが教育の目的だ」(02頁)と考えるからです。そして、「複雑化」とは、〈昨日とは違う人間になること〉(36頁)だと言います。でも、それって、子どもたちにしたら極めて不安なことですよね。自分が何者であるか分からなくなることですから。だから著者は言います。〈子どもたちに向かって教師が告げるべき最初の言葉は 「あなたは成熟し、複雑化する権利がある。あなたが自分の殻を破って、傷つきやすい状態になった時にも私はあなたを傷つけないし、あなたを傷つけようとするものからあなたを守るために最善を尽くす」〉(51頁)、これが最初に言うべき言葉だと。「複雑化」とは、こうした大人の側からする“宣言”も求めるんですね。
3 なぜ「複雑化」でなければならないのか。
更に、「複雑化」という言葉の使用には他にも理由があると思いました。“あえて”使ったのです。一番の理由は、「成長とはそうしたもの」「進化とは複雑化」という著者の確固たる信念。二つめは、「複雑化」を推し進めないと民主主義は成り立たなくなるという危惧感。どういうことでしょうか。著者は、[「Lose‐Lose‐Lose」の合意形成]という小節で大岡越前の「三方一両損」の話を持ち出します。3両を拾った男とその3両を落とした男が「返す」「いらない」でもめる話。越前が1両足して4両にし、二人の男に2両ずつ分ける、というあのお話です。これはかなり高度な知的操作ですよね。知的な操作というだけでなく調停者たる越前は自分も身銭を切っている、というのが著者の指摘です。民主主義って、落としどころを探る政治制度じゃないですか。単純な二項対立ではどうにもならない。そうした民主主義に耐える人間、「大人」を育てるには、「複雑化の教育論」でなくてはならない。三つめは、「話を簡単にする人が賢い人だ」というイデオロギーに対するアンチテーゼです。著者は、[教育において最優先すべき知的資質]という小節でこのことを言います。その知的資質とは「未決状態に耐える能力」(55頁)のこと。そうした能力いうなれば“頑丈な頭”を作るのに必要なのが「複雑化」。本書のタイトルを「複雑化」としたのは、筆者のこうした思いが込められていると思います。
4 大人・教師に求められるもの
では、「複雑化の教育論」において大人や教師に求められる姿勢といったものは何でしょうか。著者は「機嫌のよいことだ」と言います。これを著者は、「同期現象」という仕方で説明します。先生が機嫌よくしていると生徒もそうなる。著者はその辺の消息を次のように言います。〈シンクロニシティは生物の本能ですから、止めようがない。「気分のよい状態」にいる人間は強い同期力を発揮する。そういうものなんです。気持ちのよい動き、強く、合理的で、早い動きをしているものが傍らにいると、傍らにいる個体はそれに「染まる」〉(249頁)と。 では、「機嫌のよい状態」はどうしたら作ることが出来るのでしょうか。さすがに著者はそこまで言ってはいないのですが、著者の日頃の言動・目標からして“親切”“正直”ではないでしょうか。親切・正直でなかったら、あるいは、親切・正直にする余裕のない教育環境だったら、とても「機嫌のよい状態」は生まれませんから。 さて、本書の80頁にはこんな一文があります。〈教師というのは、医療従事者と同じで「そういう傾向」の人が就く職業〉だと。この表現、この眼力にはドキッとしました。本書は「そういう傾向の人」にはぜひとも読んで頂きたい一冊です。