2026年02月13日

『街場 の 文体論』

『街場 の 文体論』 【内田樹 文春文庫 2016年3月 第1刷 318頁 740円+税】

1 はじめに
本書は2010年の10月から翌年の2月まで、神戸女学院大学での最後の講義である 「クリエイティブ・ライティング」を基にして書かれた。同大学における20年の「講義」の集大成と言えようか。しかし、著者の、『そのうちなんとかなるだろう』(マガジンハウス)を読むとちょっとその表現では足りない気がする。著者の専門はフランス現代思想史。ところがその中でも研究対象が特異なものだったから大学に職を得るにも査定不能で採用がかなわない。1990年に神戸女学院に赴任したときにはおよそ40歳になっていた。仮に誰もが普通に選ぶものを選び、普通に研究していたなら、就職口だって普通に見つかったろう。しかしそれでは著者のような“規格外”とでもいうべき学者は決して生まれなかった。どうしてか。長い「不遇な」院生生活は著者に深い学知を与えた。また、人間的にも太い根っこを授けたと思しい。本書はそうした規格外の教師の愛情あふれる講義の記録である。
2 読後の感想、「面白かった」
著者の女学院での初めての講義の様子は次のようなものであった。<その最初の「フランス文学」の講義のときに、僕が半年かけて額に汗して作成した講義ノートを読み上げ、重要事項を板書して、ふと振り返ると、目に入ったのは、学生たち全員が必死で睡魔と戦っている姿でした」>(308頁)。ガックリ来たでしょう。さて、それから著者の「寝させてたまるか」が始まる。「聴かせる」ための工夫と努力が始まる。ではそのためにどうしたか。著者は生徒の反応を見ては、「余談」に及び、「具体例」をもちだし、「パラフレーズ」に腐心する。本書の面白さ、それは言うなれば、「生成的言語」という主題自体の面白さと、その主題を分からせようとする,「余談」「具体例」「パラフレーズ」が面白いのである。
3 「階層社会」とは?
本書の第7講は「エクリチュールと文化資本」。エピソードはフランスに語学研修に行った時のこと。学生がカルトミュゼ(美術館と博物館のフリーパス)を買いたいというので地下鉄の駅に行った。駅では「この駅にはない。○○駅にはある」というのでその駅に行ったがそこでは「△△駅にある」と言われる。ほぼそのくり返しで11カ所を回らされる。結局、めあてのカルトミュゼは去年発売中止になったことが判明。問題はなぜ日本の様に、「分からないので、お待ちください」と調べなかったかである。そうすれば発売中止はその場で分かったろう。著者は、<このとき、フランス社会のある種の「病」を感じ>た(132頁)という。著者は言う。観光客相手の接客係は申し訳ないけど階層上位の人ではない。彼らは「知らない」「教えてください」を口にすることは制度的に禁圧されているのだという。なぜか。それらを口にすれば、人に侮られ、或はいらぬ借りを作ってしまうと信じているから。しかし、「知りません。教えてください。お願いします。」は学びのぎりぎりの必要条件。このセンテンスが言えないことは社会的上昇もかなわなくなる、と。なるほどなぁ、と思いました。ヨーロッパが階層社会であることは既知の事実。しかし、その本質は、「簡単には抜け出せないもの」「階層意識の内面化」にあったとは!講義はこのエピソードからいよいよ本題の「階層再生産に強い力を発揮する教養・文化資本」(134頁)に入っていきます。
4 「クリエイティブ・ライティング」とは? 
さて、肝心の「クリエイティブ・ライティング」とは何か。まず、伝えたぃことが自分にあること。次にどの様に伝えるか。著者はさまざまに表現を変えて言います。「情理を尽くして語る」・「読み手に対する敬意と愛」・「他者に伝わる言葉」・「命のある言葉」etc。それぞれ十分な説明がなされます。でも、とんでもないことに、僕は、「具体例が欲しいなぁ」と思ってしまった。そんなものが無いからこそ半年かけて講義をしたのに。しかし、ここで天啓が下る。具体例はあるのです。この『街場の文体論』こそがまさにクリエイティブ・ライティングそのものなのではないかと。僕が読んだ著者のご本の中で一番面白かったのが本書。本書には、あふれんばかりの愛情をもって語る内田樹の人間像があります。「学知」と「人間」、この二つを満足させるものには滅多にない。そういうことでぜひ、お手に取ってください。面白いですよ。
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『 闇 の 奥 』

『 闇 の 奥 』
【青木理 河出書房新社 2025年10月30日 初版発行 全236頁 2000円+税】

1 はじめに
高市早苗氏が2025年10月、第104代内閣総理大臣に選出された。早々に「台湾有事」の失言。事の重大さを知らずポロリと言ってしまったのだ。また、喫緊の物価対策も全くのその場しのぎ。円安を何とかしなければバラマキを続けるしかないのに。作り笑顔にも自信のなさがすけて見える。高市氏という人は首相になりたかっただけの人ではなかったか。「政治家としての素養をなんら持たず、何事も知らない」、しかし、「気分だけは真正右翼」、それが高市氏なのだ。「こんなことなら、石破の方が良かった」という声も聞こえてくる。しかし、まてよ、かく言う自分だって石破氏を右派政治家と批判していた時期があったのだ。そうだとすると、「高市氏の方が、まだましだった」と言う時が来るかもしれない。現実が変われば悲しいかな、自分の基準も変わっていく。避けられないことかも知れない。しかし、著者の青木理という人は、現実が変わっても自分の基準を変えない稀有な人だ。その人が新刊を出したというので早速買い求めた。
2 どんな本か
本書はルポ及び時評集から構成されている。「目次」から、大見出しと小見出しを拾うと71を数える。2020年代に生じたおもな事件がほぼすべてを網羅されている。ところで、本書で強調されるのは、「新聞」や各種雑誌の凋落とSNSの隆盛。筆者は次のように指摘する。<実際、ネット上の各種サイトやSNS等には膨大な情報が飛び交っていても、直接取材に基づく一次情報の発信元はいまも主に既存の新聞、テレビ、そして雑誌が担い、それ以外はその情報に基づく論評、批評、感想等々を流しているにすぎない。背後には、情報がタダで流通するのは当然と捉えるネット時代の宿痾も横たわる>と160頁。そして、直接取材に基づく一次情報発信者の衰退は民主的社会の根幹をむしばむという。その通りだと思う。読み返し、また、読み比べることができるのは「活字」というプラットホームだけだ。さて、決して忘れてはならない事件として本書から次の記事を紹介する。
3 刑事司法の闇
2018年9月、当時大阪地検の検事正だった北川健太郎が抗拒不能状態の女性検事を検事正官舎に連れ込み性的暴行を加えた。北川検事正はこの容疑で2024年6月25日に突如逮捕される。普通の事件ではない。検事正といえば各地方検察庁のトップなのだ。そして、この大坂地検で思い出すのは2009年の事件。同地検特捜部が郵便不正使用で村上厚子氏らを逮捕。そこで発覚したのはこともあろうに検察による証拠の改ざん。有体に言えば、準強姦と証拠の偽造が地検のトップと現職の検事によって行われたのだ。本書では事件の細部が克明に記録されている。そして、最近では、大河原加工機事件。「大河原加工機事件の本質」(77頁)と第5章「大河原加工機事件の核心−公安警察と司法の歪み」は本書でも白眉をなす。さて、著者は刑事司法が抱える問題に極めてつよい危機感をいだく。刑事司法は我々の人権に直結する。そこが腐れば(検察)、あるいは本来の使命が忘れられたら(裁判官)、あとは奈落におちる以外にないからである。
4 おわりに
さて、とは言うものの、一体我々に何ができるだろうか。私たちに大きなことはできない。しかし、変なことを言うようだが、「大きな事は出来ない」、ということは「小さな事なら出来る」ということである。「出来ない」から「出来る」への転換。そして、そのために必須とされることは、「基準」を変化させない書き手が書いた事実を「よく知ること」ではないか。本書は初めにも述べたように現下の日本の課題があまねく網羅され、著者の精緻で懇切な取材の結果が分かりやすくまとめられている。そして同時に、歯を食いしばって本質に肉薄する姿勢が伝わってくる。まことに稀有な一冊である。「大きな事はできない」、しかし、「小さな事なら出来る」。そのために一人でも多くの方に本書を手に取っていただけたらと思う。
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2025年11月25日

『戦争と財政の世界史 成長の世界システムが終わるとき』

『戦争と財政の世界史 成長の世界システムが終わるとき』
【玉木俊明 東洋経済新報社 2023年9月26日発行 全276頁 2000円+税】

1 はじめに
本書に魅かれたのは、「成長の世界システムが終わるとき」というサブタイトルです。「成長」つまり、「成長経済」というシステムですよね。これまで、得書案内した、『人新生の「資本論」』(斉藤幸平・集英社新書)や『資本主義の次に来る世界』(ジェイソン・ヒッケル・東洋経済新報社)が、「脱成長経済」あるいは「定常経済」を論じているのはご案内のとおり。両方とも、「脱成長経済」を論じるがその切り口が違う。本書の著者の専門は近代ヨーロッパ経済史、その著者が、「財政」という切り口から、「成長経済というシステムはそろそろ崩壊するのではないか」と主張した。さて、その論拠や如何?
2 公債ないし国債という指標
「あとがき」で、著者は、近代経済の起源(地域)はどこにあるのかずっと考えてきたという。本書のアイデアがでたときに、「オランダが近代経済の起源ではないか」という自分なりの答えが出せたと語る。近代経済は「持続的経済成長」を特徴とする。問題は何をもって「持続的経済成長」の指標とするかである。著者はそれを公債に求めた。そうするとオランダこそが初めて多額の公債を発行し”返済できた”地域だったのである。言わずもがな,返済には「持続的経済成長」を必要とする。さて、金がかかるといえば戦争である。日露戦争(1904〜1905年)を例にとろう。日露戦争においては軍事費の実に78パーセントを公債等に依存した。到底国内だけで賄える額ではない。だから日露戦争は外国からの借り入れでようやく遂行できた戦争と言える。そして、日本がすべての国債を返済し終えたのは実に1986年だったというから驚く。それでも“返済できた”のはどうしてか。持続的経済成長があったからに他ならない。ここに経済成長と国債の強い結びつきが見て取れる。
3 財政の現状
近代ヨーロッパの歴史は戦争の歴史だった。戦争には莫大な戦費を必要とする。20世紀もまた戦争の世紀だった。戦費調達には国債の発行が不可欠。しかし、21世紀の今日にあっては社会福祉もまた大きなウェイトを占める。著者は〈健全財政という言葉が不健全に思われるほどに、国家の財政赤字が日常的になっていった〉(218頁)と指摘する。毎日のニュースを見ても、アメリカからの防衛費の増大要求は止むことを知らない。社会福祉と防衛費の増大という挟み撃ちだ。こうした財政の現状にあって、国債への依存は避けられない。けれども、国債の発行は返済を前提とし、返済は持続的経済成長を前提とする。しかし、はたしてこれまで通りの持続的な経済成長は可能だろうか。
4 持続的経済成長という幻想
本書によれば経済学には、「未開拓の土地」という用語があるという。未開拓の土地があれば経済は発展するという意味。著者は述べる。〈しかし、もはや「未開拓の土地」そのものがなくなっているかもしれない。そもそも、近代経済学で、そして近代世界システムで前提としている「持続的経済成長」は、現実にはフィクションでしかない。地球の資源は限られており、世界の人口はやがて減少するだろう。さもなければ、地球環境はもたない〉(261頁)と。著者は、近代世界システムは終焉を迎え、別のシステムがーその中身は分からないにせよー誕生しつつあるのではないかと言う。そして、未来のことは我々にはわからないと述べつつ次のように締めくくる。〈しかしまたわれわれは、すべてのシステムはかりそめのものにすぎないと認識すべきであろう〉(262頁)と。さて、以下は私見。「別のシステム」、それは「成長主義」というイデオロギーからの脱却なくしては生まれてこない。そのためには、『資本主義の次に来る世界』でも論じられたように民主主義を強固なものにする以外にない。脱成長は成長をやめることではない。経済成長の方向を人間にとって真に必要なもの、「社会的共通資本」の増大に向かわせるべきなのだ。そして、それを可能とする強固な民主主義を実現するにはどうしたら良いのか。本書は「財政(国債)」から「経済成長」、そして、足下の「民主主義」に再び目を向けさせることになった一冊でした。
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posted by たっちゃん at 10:09| Comment(0) | 日記